死ぬまでわたし、みたいな。 [暮らす]
飯くってると寄ってくるのがSt. Vincent出身の少年達。
「人に優しくしなさい!」とか「男なんだから!」とか
「古いレゲエを聞きなさい!」とか説教をはじめるとニヤニヤっとして
聞いている。....but don't be a good boy,eh?というと「エッ!」って
顔をする(良い子でいろよって話してるんじゃないの?みたいな(笑))
そしてbe a bad boy,hah?とはっぱをかけると一斉に「あ?」。
この"母ちゃん一体どっちなんだよ"って顔にガハハハハッて笑って終了、
解散。
200円の椅子を3つ。 [暮らす]
久しぶりに興奮した。
この3つの椅子を見つけた時はドキっとした。一脚200円。
かかえて帰宅の途中、馴染みのビンテージ屋さんからエールを送られる。
込み合う美容室へ搬入するとスタイリストさんやお客さん達にI love it!と
言われる。モントリの夏が始まったのだ。
2011年、廃業。 [暮らす]
何せ言葉が違うから会話といえば「ハロー」と天気の話のみ。
天気の話といっても空を仰いで「ビューティフル」と言うだけ。
この関係が1日も欠かさず10年近く続いた。おじさんを悪く言う友達とは
容赦なく絶交した。そしてある日突然「貸家」のサインを見た。
この日が前ぶれもなくることはわかっていた。
"何せ言葉が違うから"。
ボリオウスおじさんが引退して1年になる。
ボリウスおじさんがいつまでも元気でありますように。
新しいポスター [暮らす]
はじめてオリバー青年とあったとき彼はまだ21歳くらい
だったと思う。ガレージバンドのベース弾きだった。私はそのころ写真に目覚め
はじめていて、バンドの少年達は私の写真をたいそう気に入ってくれていた。
私はバンドよりもオリバー青年のポスターに夢中になった。
それから今まで6年間、ダラダラと腐れ縁で続いている。
私が美容院をオープンした時、オリバー青年はさっそくポスターを
デザインしてくれた。旅先からPDFが届き、音信不通となった。
あれから3年後、「サロンの新しいポスターを作った」と突然メールがきた。
彼は友人とささやかなアトリエを構えたとのこと。このポスター(原案)は
シルクスクリーンでプリントされている。テスト版も含め合計15枚。
全てには通し番号と手書きのサインがある。
ゆく年、くる年 [暮らす]
大晦日は毎日のようにつるんでいる友人宅にジャマイカのビール、
レッドストライプとスプモンテ持参でお邪魔する。そこの4歳の御子息がパックマンで
遊んでいるのが大変愛らしい。ゲームオーバーになるのを辛抱強く待って
すかさず取り上げる。調子にのってプレーする。奥様の気の利いたはからいで
BGMが80年代の洋楽になる。料理も大変素晴らしい。ホームメイドのオリーブ、
シチリアサラダ、フレッシュトマトソースのフェットチーネ、シーフド..etc..
新年30秒前になったので、冷やしておいたスプモンテをとりだす。
あろうことか、ジョー兄さんが誤って開けてしまう、笑うしかない(画像1、2)。
テレビに釘付けになり、皆で10秒前のカウントダウンをする(画像3)。
新年を空中で迎える私をカメラマンの夫は見逃さない(画像4)。
私が昨年の夏にプレゼントしたドレスがよく似合うシモナ嬢、11歳(画像5)。
街に灯り [暮らす]
10年前、モントリオールに行くと話したら
「差別が凄い。絶対にやめたほうがいい」と言われた。結果、
人生で始めてくつろぐことができたこの街は終の住処となろうとしている。
4年前、パインストリートに店をだすと話したら
「人けのないあんな場所に。絶対にやめたほうがいい」と言われた。
結果、薄暗いストリートに灯りを灯した最初の人になった。
昨日友人がふらりとやってきて会社が倒産すると言った。
危機は転機というだけのこと、他人の実体験には
適当に耳を傾け、アドバイスは無視した方がいいと話した。
とにかくアンソニーが好き [暮らす]
日に2回(昼と夜)のおやつはアンソニーちゃんが用意します。
今日のおやつはクリスマススイーツ。チョコレートムースに
ジンジャー君が埋まっています。かわいすぎて食べれん
やんけーと小突いたったら、「こちゃん絶対そー言うと思って別に
クッキーも買っておきますた!」とアンソニーちゃん。
もうだあああああい好きーーーー♡おやつのあとは
2人でお昼寝をします。ブランケットの温かさにくるまって、
イヒヒヒヒとかウキャキャキャキャとか変顔でふざけながら
やがて短い眠りに落ちていく。私達は誰よりも幸せだ。
(お金は少しもないんだけどね!)